マザース三日坊主

妖怪人間ベム

先週の土曜日から「妖怪人間ベム」のドラマが始まりました。
オリジナルのアニメは、1968年に放送されていたので、リアルタイムでは
見てないですが、子供のころ再放送で見てました。
自分が子供のころは、夕方にテレビでアニメの再放送がいろいろやっている時代で、
毎日のように見ていました。
内容も暗くて怖くてなんだかよくわからないのがたくさんあって、そのうちのひとつが
「妖怪人間ベム」でした。
そんな子供のころ見てた「妖怪人間ベム」が実写化されたというので、見てみました。
オープニングの歌は、アニメと同じ。
ベムが亀梨和也、ベラが杏、べロが鈴木福、。ベラが一番オリジナルっぽい感じ。
柄本明が名前のない男という謎の役ででてますが、こっちのほうが見た目がベム。
まあ、別に元のアニメと同じである必要もないので、違いをあげても意味ないのですが。
まだ1話目なので、これから盛り上がっていくのかもですが、もっと暗くもっと怖くして、
見ている子供のトラウマになるくらいになってほしいと思いました。
ちなみに、子供のころ見てなんだこれは!?と思ったアニメ・特撮もの
・ザンボット3→主人公以外みんな死ぬ。
・怪傑ライオン丸→主人公が自爆して最後の敵を倒す。
・宇宙大帝ゴッドシグマ→味方の博士が気が狂って敵に寝返る。
・タイガーマスク→最終回で最後の敵タイガー・ザ・グレートを反則技のオンパレードで半殺し。(殺したかも)
・侍ジャイアンツ→最終回で、今までの魔球を全部合体させて投げた魔球。これは、『侍ジャイアンツ』 番場蛮のミラクルボール で検索すればyoutubeで見れます。わけがわからない魔球です。
他に思い出せばあると思いますが、今日はこのへんで。

リカちゃん人形

先日、とある仕事で何十年ぶりにリカちゃん人形を触る機会があったので
今回はそのことについて書いてみようかと思います。
言わずと知れたリカちゃん。永遠の小学5年生。
もちろん、自分も小さいときからリカちゃん人形で遊んでいました。
なんとその歴史は1967年かららしく、何回かのモデルチェンジを経て
1987年に四代目のリカちゃんに変わってから今に至るそうです。
おそらく幼少の頃その四代目リカちゃんで遊んでいたのですが、
何十年ぶりに見たリカちゃんの印象がだいぶ違って見えるんです。
なんと云うか…現代的?な雰囲気というか。
(まぁ、着ている服でも印象は変わるものですが…
それ以前に小5なのに抜群のプロポーション)
久々に再会したリカちゃん人形に勝手にテンションはあがり、
何だか面白くなってきちゃってポーズ取ったりして色々遊んでいました。
しかも深夜の会社で1人で。
思い起こせば親がリカちゃんハウスや当時発売されてたマクドナルドショップ
(今はモスバーガーの様ですね…)を買ってくれたときとか、
それはそれは、毎回ちゃんと遊んだ後は箱に入れてしまっていました。
それくらい大事にしていたものです。
はっとして我に返った時改めて気づいたのは、
やっぱりいくつになっても小さい頃好きだったものは変わらないのだなぁ、と。
ちょっと話がずれましたが、そんなピュアな気持ちを忘れずに
日々過ごしていければと感じさせてくれたリカちゃん人形でもありました。

コンピュータ

1990
アップルからCLASSICというコンピュータが発売された。
確か20万円を切る金額だったと思う。
安い。しびれるほど安い。デザインもいい。
新橋の録音処の近くにあったキヤノン販売の店に通って通って通って触って触って触って、買った。
会社に持ち込んで自分のデスクに置く。
プリンターはない。もちろんインターネットはない。メールも当然ない。そもそもそんなものを知らなかった。
カチカチカチカチいじる。
郡家さんに見せた。こんなこととかあんなこととか出来る筈だ、と。
ただえばるだけのつもりだったのだが、会社でも買ってみろ、という思わぬ言葉が返ってきた。
こいつはついてると、会社用にCLASSICを2台、LASER WRITER IIを1台、早速買う。EXCELとかEG WORD、MAC DRAW、MAC PAINTなどのソフトも合わせて100万円くらいだったか?
直感を信じて突っ走る。マザースの良さだ。
何に使えばいいのか、どうすればいいのか。実はわかっていなかったのだが。
1985
会社に入って1年目が終わる頃。藤幡正樹さんと仕事をした。
CGの仕事だったのだが、藤幡さんが発売されたばかりのMacintoshを持っていて、絶賛していた。
ウインドウがすごい、と。
何のことだかわからない。
次の打ち合わせのときに現物を見せてもらった。すごい。Macintoshで何ができるのかわかっていなかったのだが、確かにウインドウがすごい。
フォルダをダブルクリックすると大きくなる。ビビビビッと大きくなる。フォルダが大きくなっていく自らの残像を軌跡として残しながらウインドウになる。残像を残す意味なんかないのだから、純粋に使う人を喜ばせるためだけの残像だ。フォルダを今は機能とよんでいるけど、当時は哲学だと感じた。フォルダをクリックして開いたり閉じたりするだけで楽しかった。
ウインドウのいろいろな機能ももちろんびっくりしたのだが、藤幡さんが絶賛するように、ウインドウ自体のデザインがかっこよかった。機能じゃなくて、細部を含めたクールさ。
この時デザイナーとして参加していた佐藤卓さんも「これは買うしかない!」と大声を出していたが、値段が70万円と聞いて、うーむとうな垂れていた。
確かに実際的な使い道がわからない、もしかしたらただかっこいいだけかもしれない機械に70万は高額だった。
でも欲しかったなあ僕も。
1978
縁あってこの年アメリカにいた。
通うことになった高校に「COMPUTER SCIENCE」というコースがあった。
コンピュータは当時まったく接点のない存在。ほんとにまったく。パソコンという言葉もなかったと思う。日本ではそんな授業はなかったし、英語をあまり使わなくていいだろうという想像から、そのコースを取った。
授業内容。まずBASICやFORTRANというコンピュータ言語でプログラムを考え、書く。(もちろんペンでノートに書く。)
BASICは簡単な英語でプログラムを組むコンピュータ言語で、英語力は不要。
書き上げたプログラムを手にし、テレックスマシンに向かう。テレックスは要するにでかい電動タイプライターのようなもので、ガチャガチャとキーボードを叩いていく。モニターはないので電動タイプライター用のロール紙に打っていく。書き上げたプログラムを、テレックスのテープライターで紙テープに書き出す。紙テープというのは、ちょうど35ミリフィルムのような幅のロール紙で、ここに穴をパンチして、プログラムを記録する。記憶媒体がないのでプログラムの保存は紙。長いプログラムだと、10メートル位にすぐなる。今でいうUSBメモリの役割だ。
電話の受話器を音響カプラにはめてダイヤルし、テレックスを外部の大学の大型コンピュータにつなげる。
つながると、「READY」と印刷される。印刷じゃないな。印字される、だ。カタカタカタッという感じで。
これが嬉しい。勝手に機械が動いて返事が返ってくるのだから。
紙テープを手繰りながらテープリーダーに読ませて、先方のコンピュータに送る。
また「READY」と返ってくる。
嬉しい。見知らぬ誰かと会話をしているみたい。
「RUN」とキーを叩いてリターンキーを押す。
コンピュータがプログラム通りに走って、答がカタカタカタッと印字される。ほんとにぶっきらぼうに。
デザインとか、タイミングとか、そういう人間っぽい要素はぜんぜんない。
答えが数字のプログラムだと、数字だけがカタカタカタッと印字されて、テレックスは待機状態に戻る。
プログラムにバグがあると動かない。頭にくるほどうんともすんとも言わない。
もちろんどこにバグがあるかは教えてくれない。ロール紙に印字したプログラムから間違いを探して修正する。巨大な麻雀ゲームの上海で、どこに牌が隠れているのかを探す作業に似ている。
この授業に僕ははまった。完全にはまりました。
空き時間は他の授業が教室を使っていても先生に頼み込んで隅っこでテレックスをガチャガチャ打っていた。
その先生。
APPLE IIが売れなくてアルバイトで教師をしていた若かりしスティーブ・ジョブスだった。
だったらすごいオチなのだが。

東京

東京で一人暮らしを初めて9年目の西脇です。
18歳で上京してきて早9年です。
東京は怖か人の多かけん気お付けろだの、
人の多かけんちゃんと前ば向いて歩けだの、
忠告を受けて上京してきたのですが、
さして問題もなく、すぐに新しい生活にも慣れ、
さほど上京前と変わらぬ感覚で生活してきました。
しかし、一点だけ慣れなかったのが電車です。
地元での移動がほとんどバスだったので、
電車の車輌の多さと、本数、朝のラッシュには驚きました。
あと、電車に乗るといつもミスピンポンをしてました。
バスだと降りる前にピンポン(下車ボタン)を押さないと停まらないので、
降りる=ピンポンするのが当たり前で18年間生きてきました。
上京当時は中々ピンポンする癖が抜けず、
電車で降りる駅が近付くと、条件反射的に背面に手を伸ばしピンポンするのですが、
そこにピンポンがあるはずもなく、そのままあくびのふりをする。
というのが常でした。
さすがに最近はなかったのですが、
先日久々のミスピンポンをしました。
無意識のうちに、体がかってに。
体に染みついた癖というのは驚きです。
久々のミスピンポンで、
上京当時の事や、地元が懐かしくなりました。
正月帰省したらバスに乗って思う存分ピンポンしようと思います。