マザース三日坊主

ひょんなことから始めたバレー

4月で入社8年目になりました、菅原です。
8年もなにかを続けたことがあるだろうかと振り返り、ひとつだけありました。
初めてお会いする方に必ずと言っていいほど、言われることがあります。
「バレーかバスケやってた?」
身長が174㎝もあってガタイが良いので、そう思うのも当然で、そして間違っていません。
私は小学校5年生から、高校3年生までバレーボール部に所属していました。
興味があって始めたわけではなく、本当は華麗に舞い踊る方をやりたかった。
母親にバレエを習ってみたいと言ったら、翌日母親が笑顔で私に手渡したのは、
バレーボールのシューズでした。
値札を見ると、18900円と書いてあり、誕生日とクリスマス以外で、こんな大金のものをもらったことはなかったので、使わないのはもったいないからやらなきゃいけないと思いました。
返品ということが、思いつきませんでした。
さっそく体育館に見学に行くと、色黒のプロゴルファー猿によく似た人が、思いっきり怒鳴っていました。「なんで人のせいにすんだよ!これはお前がとらないといけないボールだろ!」
その人は、小学校の近くの畳屋さんであり、このチームの監督でもありました。
私は、あまりにもこわくて、やっぱりやめようと思っていましたが、
同級生や6年生が速いスパイクを打っている姿を見てカッコイイと思ったのと、
怒鳴り散らしていた監督が、私のところに来て「頑張ってみっぺ」と優しい笑顔で言ったので、
いやになったらやめれば良いと、はじめることにしました。
小学校から中学校へあがり、私の中学校は宮城県でも強豪のチームだったので、
部活のメニューが半端なく厳しいのと、先生が本当にこわかったです。
プロゴルファーの監督なんて優しいほうでした。
辞めたいと先生に告げることの方が恐ろしかったので、続けていたようなときもありました。
ミスをすることよりも、気持ちの入っていないプレーをすると、パイプイスや灰皿を投げられたり、
往復ビンタをされました。
チームメイトと殴られても痛くない顔の角度を研究したり、後ずさりをすると余計に殴られるので、
殴られてるのに立ち向かっていくという、傍からみたらよくわからないことをしていました(笑)。
当時は、朝7時から朝練習をして、授業を受けて、放課後16時~20時まで練習し、そのあと接骨院に通っていました。
だから、単に運動部に入っていたからといって、体育会系と表現することは、なんとなく違うと思うし認めたくないのかもしれません。
あるとき、体育館の鍵が曲がっていました。
体育館を使うのは、他の部ももちろん使いますが、
一番早く来て、一番最後に帰るのが私たちだったので、鍵を扱うのはほぼ私たちでした。
準備と片付けのある、後輩たちが鍵をよく使っていたのですが、私はキャプテンだったので、
先生に呼ばれて、今までにないくらい殴られました。
そのときは、自分が曲げたわけではないのに、怒られるなんておかしいと思っていましたが、
今では、理解できます。
大人になった今、思い返せば、チームを組んでいたあの頃の部活動の中に、社会の中でも通ずるものがたくさんあったように思います。
あいさつから始まる基本的なこと、常識的なこと、責任を持つということ。
バレエをやっていれば、きっと今頃、華奢だったのにとたまに思いますが、あの頃培った精神的な図太さと仲間を得られたので、母親の間違いに感謝したいです。